小栗旬ドラマ「BORDER(ボーダー)」衝撃の最終回。その意味と感想

border

賛否両論という言葉がある。

今最もこの言葉が似合うキーワードの一つである「BORDERの終わり方」だが、

そもそも人それぞれが異なる感情や考え方を持っている時点で、 すべての事象は賛否両論なのである。

逆にどちらかに偏ってしまう方が問題だ。

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フォースの暗黒面に落ちた石川は越えてはならない一線を越えた

頭部に銃弾を受けたことで死者と会話ができるようになってしまった刑事・石川は、 その特殊能力とアンダーグラウンドに住む者の力を借りた裏の捜査によって、 次々と事件を解決していくが、 次第に死と悪と正義の渦巻く闇に引きずり込まれ、 「スターウォーズ的言語」で言う所の「フォースの暗黒面」に落ちてしまう。

「絶対的な悪の象徴」である犯罪者・安藤との出会いが、 石川が持つ闇をさらに濃くさせる。

通常、殺人捜査の場合、捜査員は「殺人という悪行」をフィルターにして、 それを通して「殺人者」を憎み、逮捕しようと試みる。 対して、すでに「殺人者が誰であるか、その個人を特定しうる」能力を得てしまった石川は、 その殺人者個人に対してストレートに憎み、怒り、そして自己の揺るぎなき正義を持って裁きを加えようとする。 その姿勢が、違法捜査へのハードルを軽々と越えさせてしまう原動力となったと考えられる。

慣れとは恐ろしいもので、彼はいつしか、当然のように死者の声を聞き犯人の確かな目星をつけ、 その犯罪者を確実に陥れるために、地下の者達の力を借りる。 その悪循環が、彼を追いつめた一つの要因あることは確かである。

石川の殺人は悪か善か

石川が安藤を殺した行為は悪なのか、それとも善なのか。

法律的、社会的倫理観における常識で考えれば、彼の行為は殺人であり、犯罪である。 だがしかし、安藤の言葉通り、彼が今後も自身の欲求を満たすために、理由なき殺人を犯し続けるとするならば、ここで安藤の命を絶っておくべき事こそが、社会全体にとっての利益=善であるとも言える。 そう考えれば、石川のとった「殺人」という行為によって、確かに救われた命があった(かもしれない)のである。

ここで我々がするすべきことは、 「あの終わり方は衝撃的だった」 だとか 「わけわかんない」 といった感想を述べること「だけ」ではなく、 「我々自身が石川の立場にあり、ビルの屋上で殺人者安藤の首根っこをつかんでいたら、自分は彼を突き落とすだろうか、それとも突き落とさないだろうか」 という命題について考えてみることだ。

これは私の持論だが、 「人は元来、人を殺す生き物である」と考えている。

だがしかし、我々は 社会的倫理観だとか、正義感だとか、怖いとか、悪い事だとか、刑務所には入りたくないだとか そういった様々な理由によって、殺人を思いとどまっているに過ぎないのである。 私が石川だったら、安藤を殺しただろうか?

あなたなら殺しますか?

今、このブログを読んでいるそこのあなた。 そう、あなたですよ。

あなたがもし石川だったら、安藤を突き落としますか? 安藤を殺しますか?

究極の正義のために、究極の悪を殺しますか?

石川の気持ちになって見てください。

石川の心で、石川の目で世界を見てください。 あなたの見ている世界には、いったい何がありますか?

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